『カラシニコフ自伝』
2014年 01月 06日
(2014.1.7. 加筆改訂)
昨年も、ボー・グエン・ザップを初めとして、ネルソン・マンデラ、やなせたかしといった闘士が、この世を去られた。
そんな2013年の年末、12月23日に、ミハイル・カラシニコフ先生の訃報が飛び込んできた。
ミハイル・チモフェエヴィッチ・カラシニコフ(Михаил Тимофеевич Калашников/享年94歳)。言わずも知れたAK47突撃銃(と、その派生型)の設計者である。
そんなカラシニコフ先生の死を悼み、年末年始は、久しぶりに氏の自伝を読み返してみた。
『カラシニコフ自伝 世界一有名な銃を作った男』
著/エレナ・ジョリー
訳/山本知子
朝日新聞出版 2008年
ISBN978-4-02-273206-4
(原書『MA VIE EN RAFALES』 2003年)
長女の友人だという著者が、カラシニコフの口述を聞き書きする形でまとめられたこの自伝(原書はフランス語)に、何かカラシニコフ突撃銃の開発秘話的なモノを期待してはいけない。ここで語られたのは、一人の魅力的なソ連人の人生であり、彼を取り巻く社会文化史である。
良く語られる逸話なのだが、対独戦に戦車兵として従軍した際に負傷し、その治療中に銃器の開発を志しAK47が生まれた・・・という名銃誕生物語がある。
また、東側を代表する突撃銃であるAKを設計したカラシニコフは、西側を代表する突撃銃M-16を設計したユージン・ストーナーと対比される事が間々ある。
資本主義国アメリカの技師であるストーナーは、M-16に関するパテントを取得し、そこから入る収入で巨万の富を得たが、社会主義国ソ連の技師であるカラシニコフは、あらゆる勲章と称号を得たものの、パテントを取れなかった故に、世界で最も製産された突撃銃からは1コペイカも得られず、小さなアパートに暮らしている・・・等と。
・・・しかし、それは正確では無いし、そんな単純な話でも無い。
戦場での体験が良質な短機関銃開発を志させ、戦傷を癒す病院の図書館で多くの事を学んだのも事実だが、イメージほど直線的な成功物語でもなく、その前後には紆余曲折がある事が、証言から明らかにされている。
また、カラシニコフは小さな共同住宅に暮らす、つましい一労働者という訳でもない。“私はどちらかといえば裕福な暮らしを送っている。「新しいロシア人」と呼ばれる成金連中と比べればまさしく貧乏人だが、一般的なロシア人と比べれば、恵まれている方だろう。”という本人の表現は的を射ていると思う。
成功した技術者として、優遇的に(慢性的な住宅不足のソ連の中では)広めのアパートをあてがわれているし、大きめの別荘も手に入れている。手に入れるのに資金もコネも必要な中で自動車も購入している。AK47の開発に際してスターリン賞を授与された際には、「最高モデルの車を1ダースほど買う事が出来る額」を受け取ってさえいる。
政治的野心は無かったにせよ、6回もソ連最高会議の代議員に選出された事に象徴されている様に、彼は間違いなくノーメンクラツーラ(特権階級)の一員なのだ。・・・と同時に、そこまでの地位を得ながら、AKに関する決定権は何一つ与えられなかったと証言しているのは興味深い。
そんなカラシニコフが、実は「富農撲滅運動」でシベリアに追放された農民の出で、持ち前の器用さで書類を偽造して脱走した過去を、ひた隠しに生きてきた・・・という告白は、衝撃的である(過去を精査される事を恐れて、スターリン賞を受賞し、ソ連最高会議の代議員に選出された時ですら、まだ共産党に入党していなかったという)。
農民(鎌)として生まれ、技師(鎚)として成功するカラシニコフは、自他共に認める良心的で模範的なソ連人である。
父や兄弟の多くが生き延びる事が出来なかった社会主義国の建設と戦争の時代、やがて戦後の安定と停滞の時代を経て訪れるソ連の崩壊・・・という激動の時代を通して、時に人情味たっぷりに、時にジョークや詩を交え話す自身や家族、友人や同僚、時の人とのエピソードは、手に汗握り、笑いと涙を誘う。そしてその合間に、当時のソ連という国の生活の、ある一断面が垣間見えて楽しい。
職場の同僚と結婚したカラシニコフだが、互いに初婚ながら以前のパートナーとの間に子供が一人ずついたと語る所から、戦前のソ連社会の中では、結婚しない男女が共に生活したり、子供を作ったりという事が珍しい事ではなく、女性も仕事を持ち、シングルマザーも当たり前という、現代的な社会生活がソ連に在った事が分かる(勿論、地域差はあるのだろうが)。
また、とにかく悪平等主義的な面が批判されがちの社会主義国にあって、苛烈な競争社会や、それに勝ち抜く事で経済的恩恵を与えられた事実、また逆に家族の出自で差別される現実も語られる。
後知恵的に語られるスターリンの指導や非「自由選挙」すらも、隠されていた事実が多く在ったにせよ、当時は別に不満無く信頼を持って受け入れていた(システムとして機能していた)国民感情も述べられる。
読み所は多い本だ。しかしこの本に引きつけられる点は、何と言っても、この頑固で誠実なミハイル・カラシニコフという一人の老人が、実に魅力的という事なのだ!
一読をお勧めします。
この時は、少将の肩章を付けているが、最終階級は技術中将。
正確には技官(非軍人)である。
冥福をお祈り致します。合掌。
昨年も、ボー・グエン・ザップを初めとして、ネルソン・マンデラ、やなせたかしといった闘士が、この世を去られた。
そんな2013年の年末、12月23日に、ミハイル・カラシニコフ先生の訃報が飛び込んできた。
ミハイル・チモフェエヴィッチ・カラシニコフ(Михаил Тимофеевич Калашников/享年94歳)。言わずも知れたAK47突撃銃(と、その派生型)の設計者である。
そんなカラシニコフ先生の死を悼み、年末年始は、久しぶりに氏の自伝を読み返してみた。
『カラシニコフ自伝 世界一有名な銃を作った男』
著/エレナ・ジョリー
訳/山本知子
朝日新聞出版 2008年
ISBN978-4-02-273206-4
(原書『MA VIE EN RAFALES』 2003年)
長女の友人だという著者が、カラシニコフの口述を聞き書きする形でまとめられたこの自伝(原書はフランス語)に、何かカラシニコフ突撃銃の開発秘話的なモノを期待してはいけない。ここで語られたのは、一人の魅力的なソ連人の人生であり、彼を取り巻く社会文化史である。
良く語られる逸話なのだが、対独戦に戦車兵として従軍した際に負傷し、その治療中に銃器の開発を志しAK47が生まれた・・・という名銃誕生物語がある。
また、東側を代表する突撃銃であるAKを設計したカラシニコフは、西側を代表する突撃銃M-16を設計したユージン・ストーナーと対比される事が間々ある。
資本主義国アメリカの技師であるストーナーは、M-16に関するパテントを取得し、そこから入る収入で巨万の富を得たが、社会主義国ソ連の技師であるカラシニコフは、あらゆる勲章と称号を得たものの、パテントを取れなかった故に、世界で最も製産された突撃銃からは1コペイカも得られず、小さなアパートに暮らしている・・・等と。
・・・しかし、それは正確では無いし、そんな単純な話でも無い。
戦場での体験が良質な短機関銃開発を志させ、戦傷を癒す病院の図書館で多くの事を学んだのも事実だが、イメージほど直線的な成功物語でもなく、その前後には紆余曲折がある事が、証言から明らかにされている。
また、カラシニコフは小さな共同住宅に暮らす、つましい一労働者という訳でもない。“私はどちらかといえば裕福な暮らしを送っている。「新しいロシア人」と呼ばれる成金連中と比べればまさしく貧乏人だが、一般的なロシア人と比べれば、恵まれている方だろう。”という本人の表現は的を射ていると思う。
成功した技術者として、優遇的に(慢性的な住宅不足のソ連の中では)広めのアパートをあてがわれているし、大きめの別荘も手に入れている。手に入れるのに資金もコネも必要な中で自動車も購入している。AK47の開発に際してスターリン賞を授与された際には、「最高モデルの車を1ダースほど買う事が出来る額」を受け取ってさえいる。
政治的野心は無かったにせよ、6回もソ連最高会議の代議員に選出された事に象徴されている様に、彼は間違いなくノーメンクラツーラ(特権階級)の一員なのだ。・・・と同時に、そこまでの地位を得ながら、AKに関する決定権は何一つ与えられなかったと証言しているのは興味深い。
そんなカラシニコフが、実は「富農撲滅運動」でシベリアに追放された農民の出で、持ち前の器用さで書類を偽造して脱走した過去を、ひた隠しに生きてきた・・・という告白は、衝撃的である(過去を精査される事を恐れて、スターリン賞を受賞し、ソ連最高会議の代議員に選出された時ですら、まだ共産党に入党していなかったという)。
農民(鎌)として生まれ、技師(鎚)として成功するカラシニコフは、自他共に認める良心的で模範的なソ連人である。
父や兄弟の多くが生き延びる事が出来なかった社会主義国の建設と戦争の時代、やがて戦後の安定と停滞の時代を経て訪れるソ連の崩壊・・・という激動の時代を通して、時に人情味たっぷりに、時にジョークや詩を交え話す自身や家族、友人や同僚、時の人とのエピソードは、手に汗握り、笑いと涙を誘う。そしてその合間に、当時のソ連という国の生活の、ある一断面が垣間見えて楽しい。
職場の同僚と結婚したカラシニコフだが、互いに初婚ながら以前のパートナーとの間に子供が一人ずついたと語る所から、戦前のソ連社会の中では、結婚しない男女が共に生活したり、子供を作ったりという事が珍しい事ではなく、女性も仕事を持ち、シングルマザーも当たり前という、現代的な社会生活がソ連に在った事が分かる(勿論、地域差はあるのだろうが)。
また、とにかく悪平等主義的な面が批判されがちの社会主義国にあって、苛烈な競争社会や、それに勝ち抜く事で経済的恩恵を与えられた事実、また逆に家族の出自で差別される現実も語られる。
後知恵的に語られるスターリンの指導や非「自由選挙」すらも、隠されていた事実が多く在ったにせよ、当時は別に不満無く信頼を持って受け入れていた(システムとして機能していた)国民感情も述べられる。
読み所は多い本だ。しかしこの本に引きつけられる点は、何と言っても、この頑固で誠実なミハイル・カラシニコフという一人の老人が、実に魅力的という事なのだ!
一読をお勧めします。
この時は、少将の肩章を付けているが、最終階級は技術中将。
正確には技官(非軍人)である。
冥福をお祈り致します。合掌。
by redsoldiers
| 2014-01-06 15:08
| 書籍
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