人気ブログランキング | 話題のタグを見る

『日ソ張鼓峯事件史』

 本屋で何気なく書架を眺めていると、「何かの間違いで出版されて、何かの手違いで並んでいるのでは?」という思わせる書籍を目にする事がある。
 この本も、そんな書籍の一つ。

日ソ張鼓峯事件史

笠原 孝太/錦正社

undefined

『日ソ張鼓峯事件史』

著/笠原孝太
錦正社 2015年
ISBN978-4-7646-0342-4


 ノモンハン事件の前年1938年に、ソ連・満州・朝鮮の国境が入り組む豆満江下流、その左岸と長池(露名:ハサン湖 озеро Хасан)に挟まれた位置にそびえる沙草峯(露名:ベズィミャンナヤ高地 высота Безымянная)、張鼓峯(露名:ザオジョールナヤ高地 высота Заозёрная)、52高地を巡って、ソ連軍と日本軍との間で行われた国境紛争が、張鼓峯事件である。
 一般的にはノモンハン事件の前哨戦、悪く言えばオマケ程度の認識では無いだろうか?ロシアでも、ハサン湖紛争に関する戦史本が出版されたりもしているが、「これってノモンハンじゃないの?」と思われる写真が掲載されていたりと、扱いは微妙な紛争だったりする。確かに、参加兵力や損害としてはノモンハン事件の1/3~1/4程度ではあるが、それでも日本軍・約6,800名:ソ連軍・約23,000名が参加し、人的損害(戦死・戦傷・戦病)は日本軍・約1,400名:ソ連軍・約4,200名を出した大規模戦闘であったのは間違い無い。

 張鼓峯事件の舞台となる地域は、日ソ両国で国境認識に差異があり、不要な衝突を避ける為に兵力を配備しない真空地帯になっていた様だ。
 1937年7月、この真空地帯の中央に位置し、周辺地域を一望出来る戦略の要地である張鼓峯頂上部に、ソ連国境警備隊が陣地構築を始め、対応すべく日本の朝鮮軍が兵力を集中させた事で緊張が一気に高まる。この際は、外交交渉と政治判断で日本が軍を引き、一時的に緊張は緩和された。
 所が、張鼓峯の北側に位置する沙草峯南方高地に、ソ連国境警備隊が陣地構築を開始した事から自体は急変。現地司令官の独断で沙草峯のソ連兵を急襲し駆逐、同時に張鼓峯も占拠した。これに対して大砲・戦車・航空機を駆使し反撃に転ずるソ連軍。日本軍は確保している沙草峯・張鼓峯・52高地を結ぶ稜線を、砲兵の支援の下、歩兵のみで死守。瓦解する一歩手前で、外交交渉による停戦に日本軍は救われる事となる。
 最終的には日本軍は開戦前の位置まで兵力を撤収。高地はソ連の支配下に置かれる事となる。


 筆者は日本の先行研究を土台として、当時は参照できなかったソ連側の資料、更にはロシアの最新研究を交えて検証、日本側の資料も再検証し、この張鼓峯事件の定説やイメージを覆しながら実像を再構築していく。
 筆者が雑誌『軍事史学』等で発表した複数の論文を加筆しまとめた物なので読み難い所が無いわけでは無いが、前線の戦闘行動や後方支援から外交交渉に至るまで多岐にわたるテーマを、コンパクトな分量でまとめていて大変にありがたい。
 使用兵器や軍装と言った事柄には当然触れていないので、「Men at Arms」的な物を期待してはいけない。


 個人的に興味深かったのは、日ソの国境認識の差にまつわるエピソードである。
 共に国境の根拠を1886年に清とロシアとの間で結ばれた琿春界約に求めるのだが、日本は国境を(高地の東側に広がる)ハサン湖西岸と認識し、ソ連は国境を高地の稜線と認識していた。
 驚くことに日ソ両軍共に不拡大路線を貫き、互いの領土に進入しない防衛戦を展開していたにも関わらず(実際は、ソ連国境警備隊は3mほど侵犯していた)、日本は「ソ連が国境を越えて戦略の要地を占領してきた」と認識し、ソ連は「度重なる日本の挑発行為に供えるべく国境を固めたのに対して攻撃を仕掛けてきた」と認識しているのである。
 互いに我に理ありと信じて命をかけている現場もさる事ながら、それを見守る国民も共に、「我こそ正しく彼が悪い」と熱に浮かされやすいのが領土問題の常で、事は張鼓峯事件に限らない。されど、本当に我の理は正しいのだろうか・・・と立ち止まって考える必要が常にあるし、たとえ我に正しい理があると考察したとしても、彼も同じく正しいと信ずる理から生じる熱に浮かされている事に留意しなければならないな・・・と考えさせられた。
 因みに、この張鼓峯事件の国境認識であるが、どうやら日本側に分が悪かった様である。


 何かの間違いか!?と思う本と出くわした時は、何はともあれ買っておくのが吉である。
 
 

by redsoldiers | 2017-11-11 11:43 | 書籍 | Comments(0)

歴史軍装研究と模型製作の狭間に


by redsoldiers
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31