「エマニエル・チクルス」第三夜 『さよならエマニエル夫人』
2016年 04月 06日
「『エマニエル夫人』って、どんな話なの?」
「自由恋愛を気取っていた夫婦の前に、若い男が現れて、妻が本気になったら旦那が焦った・・・って話。」
「あら、素敵な話ね。」
「・・・。」
という、夫婦の会話があったのですが、それは『エマニエル夫人』ではなく、『さよならエマニエル夫人』の話でした。
『さよならエマニエル夫人』
(原題:Goodbye, Emmanuelle 1977年 フランス)
制作:イヴ・ルッセ・ルアール(Yves Rousset-Rouard)
監督:フランソワ・ルテリエ(François Leterrier)
脚本:フランソワ・ルテリエ
モニカ・ランジュ(Monique Lange)
撮影:ジャン・バダル(Jean Badal)
編集:マリー・ジョセフ・ヨヨト(Marie-Josèphe Yoyotte)
音楽:セルジュ・ゲンズブール(Serge Gainsbourg)
エマニエル:シルヴィア・クリステル(Sylvia Kristel)
アフリカ大陸の東、マダガスカルの北に浮かぶインド洋の島国セーシェル。この南の島に移り住んだジャンとエマニエルは、フランス語コミュニティの友人達と気ままなリゾートライフを送り、奔放なSEXライフを営んでいた。
そんなある日、パリからロケハンで島に訪れた若手映画監督のグレゴリーが彼らの前に現れる。初めは情熱的なSEXの相手でしかなかったグレゴリーに、いつしか強く心引かれるエマニエル。やがてジャンとエマニエルの夫婦の関係にも大きな変化が・・・。
前2作が、新進気鋭のファッション写真家を監督に据え、どこか尖った作品作りをしていたが、今作は(前後のキャリアを見る限り)キチンとした(?)フランス映画界のスタッフをそろえ、よく言えばまとまりのある、悪く言えば地味な仕上がりの作品になっている。SEXシーンなどエロティックな場面も少ない。
チャンとしたスタッフが作っているからか、ドラマを描く意図を感じる。よって、出てくる登場人物達は、多彩で血肉の通った人びとなので、『エマニエル夫人』の様に"色ボケセレブ"や、『続エマニエル夫人』の様に"行きずりの名も無い人びと"では無い。
そして血肉の通った人びとが語るのは、「愛するが故に互いに自由な関係・・・なんていうのは、新しい生き方では無く、単なる幻影なのだ。」という事。
例えば、エマニエルの友人であるクララは、男の子を二人抱え、夫の女癖になやんだ末に不感症にまで成ってしまっている。
エマニエルの懇意にしている現地のお針子は奔放な性を謳歌しているが、夫は嫉妬深いし(←普通なんですけどね)、情事の果てに去って行った妻への嫉妬で、気がふれてしまった男も登場する。
グレゴリーに至っては、流行の奔放な夫婦生活を実践しようとしたものの、妻が耐えられずに破綻してしまった過去を抱えている。しかも物語は、このキャラクターに「同時に二人は愛せない。」とまで語らせる。
コミュニティーの中心人物でもあるコルディエ夫婦は、ジャンとエマニエルの様な自由な関係を主張し、奔放な性交渉を楽しんでいる。
しかし、「素敵な生き方ね。」なんてウットリしている様なバカンス中のボンクラ女学生を相手に語っている夫を他所に、妻はこの生き方に飽きてしまっている。離婚も考えた妻が、今の関係を踏みとどまっているのは、「いつか老けて醜くなった時に、一緒にいてくれるのは彼だけ。それに彼が自由に生きられるのは、私がいるおかげと思うから。」と告白する。
もう誰も彼もが、既存の男女関係から自由になる奔放なフリーセックスを楽しむ(楽しまなければならない)時代は終わったのだ。誰しもが老いるのだから。
そしてエマニエルも、今までのライフスタイルに「さよなら」を告げる。
シリーズを全否定して幕切れをはかろうとする展開には驚くが、それ以上に極めて常識的な人びとや意見、そしてドラマ展開になった時に浮き彫りになるのは、「エマニエルって、美しい体以外は、何も無い女だな・・・。」という事。
夫の稼ぎで自由に贅沢な暮らしを送っているだけで、キャリアも無なければ、まともに家事すらしていないのだ。頭の中身も空っぽで、グレゴリーに夢中になるのだって、邪険にされたから・・・というビックリする程単純な理由だし、全てが無邪気で良い年をして少女の様だ。
確かにお姫様の様にしてくれたジャンを捨てて、先の見通しの見えないグレゴリーとの生活にかけようとするのは、自立した女性への第一歩なのかも知れないが、そんな女に自分の生きていく理由や価値を見いだす事が出来るのか・・・。
余談。
それと絵を売りながら誰かに依存する様に生きている画家のクロエちゃんも、注目してみていると切ない。
もう、ジャンってばエマニエルなんか忘れちゃって、クロエちゃんを守ってあげて!という気分になりました。
今作が、イヴ・ルッセ・ルアールがプロデュースし、シルヴィア・クリステルがエマニエルを演じるシリーズ最後の作品となる。
因みに、セーシェル共和国の標語は、「Finis Coronat Opus」。ラテン語で「最後に仕事は報われる」という意味だが、果たしてイヴ・ルッセ・ルアールの仕事は報われたのだろうか?
「自由恋愛を気取っていた夫婦の前に、若い男が現れて、妻が本気になったら旦那が焦った・・・って話。」
「あら、素敵な話ね。」
「・・・。」
という、夫婦の会話があったのですが、それは『エマニエル夫人』ではなく、『さよならエマニエル夫人』の話でした。
『さよならエマニエル夫人』
(原題:Goodbye, Emmanuelle 1977年 フランス)
制作:イヴ・ルッセ・ルアール(Yves Rousset-Rouard)
監督:フランソワ・ルテリエ(François Leterrier)
脚本:フランソワ・ルテリエ
モニカ・ランジュ(Monique Lange)
撮影:ジャン・バダル(Jean Badal)
編集:マリー・ジョセフ・ヨヨト(Marie-Josèphe Yoyotte)
音楽:セルジュ・ゲンズブール(Serge Gainsbourg)
エマニエル:シルヴィア・クリステル(Sylvia Kristel)
アフリカ大陸の東、マダガスカルの北に浮かぶインド洋の島国セーシェル。この南の島に移り住んだジャンとエマニエルは、フランス語コミュニティの友人達と気ままなリゾートライフを送り、奔放なSEXライフを営んでいた。
そんなある日、パリからロケハンで島に訪れた若手映画監督のグレゴリーが彼らの前に現れる。初めは情熱的なSEXの相手でしかなかったグレゴリーに、いつしか強く心引かれるエマニエル。やがてジャンとエマニエルの夫婦の関係にも大きな変化が・・・。
前2作が、新進気鋭のファッション写真家を監督に据え、どこか尖った作品作りをしていたが、今作は(前後のキャリアを見る限り)キチンとした(?)フランス映画界のスタッフをそろえ、よく言えばまとまりのある、悪く言えば地味な仕上がりの作品になっている。SEXシーンなどエロティックな場面も少ない。
チャンとしたスタッフが作っているからか、ドラマを描く意図を感じる。よって、出てくる登場人物達は、多彩で血肉の通った人びとなので、『エマニエル夫人』の様に"色ボケセレブ"や、『続エマニエル夫人』の様に"行きずりの名も無い人びと"では無い。
そして血肉の通った人びとが語るのは、「愛するが故に互いに自由な関係・・・なんていうのは、新しい生き方では無く、単なる幻影なのだ。」という事。
例えば、エマニエルの友人であるクララは、男の子を二人抱え、夫の女癖になやんだ末に不感症にまで成ってしまっている。
エマニエルの懇意にしている現地のお針子は奔放な性を謳歌しているが、夫は嫉妬深いし(←普通なんですけどね)、情事の果てに去って行った妻への嫉妬で、気がふれてしまった男も登場する。
グレゴリーに至っては、流行の奔放な夫婦生活を実践しようとしたものの、妻が耐えられずに破綻してしまった過去を抱えている。しかも物語は、このキャラクターに「同時に二人は愛せない。」とまで語らせる。
コミュニティーの中心人物でもあるコルディエ夫婦は、ジャンとエマニエルの様な自由な関係を主張し、奔放な性交渉を楽しんでいる。
しかし、「素敵な生き方ね。」なんてウットリしている様なバカンス中のボンクラ女学生を相手に語っている夫を他所に、妻はこの生き方に飽きてしまっている。離婚も考えた妻が、今の関係を踏みとどまっているのは、「いつか老けて醜くなった時に、一緒にいてくれるのは彼だけ。それに彼が自由に生きられるのは、私がいるおかげと思うから。」と告白する。
もう誰も彼もが、既存の男女関係から自由になる奔放なフリーセックスを楽しむ(楽しまなければならない)時代は終わったのだ。誰しもが老いるのだから。
そしてエマニエルも、今までのライフスタイルに「さよなら」を告げる。
シリーズを全否定して幕切れをはかろうとする展開には驚くが、それ以上に極めて常識的な人びとや意見、そしてドラマ展開になった時に浮き彫りになるのは、「エマニエルって、美しい体以外は、何も無い女だな・・・。」という事。
夫の稼ぎで自由に贅沢な暮らしを送っているだけで、キャリアも無なければ、まともに家事すらしていないのだ。頭の中身も空っぽで、グレゴリーに夢中になるのだって、邪険にされたから・・・というビックリする程単純な理由だし、全てが無邪気で良い年をして少女の様だ。
確かにお姫様の様にしてくれたジャンを捨てて、先の見通しの見えないグレゴリーとの生活にかけようとするのは、自立した女性への第一歩なのかも知れないが、そんな女に自分の生きていく理由や価値を見いだす事が出来るのか・・・。
余談。
それと絵を売りながら誰かに依存する様に生きている画家のクロエちゃんも、注目してみていると切ない。
もう、ジャンってばエマニエルなんか忘れちゃって、クロエちゃんを守ってあげて!という気分になりました。
今作が、イヴ・ルッセ・ルアールがプロデュースし、シルヴィア・クリステルがエマニエルを演じるシリーズ最後の作品となる。
因みに、セーシェル共和国の標語は、「Finis Coronat Opus」。ラテン語で「最後に仕事は報われる」という意味だが、果たしてイヴ・ルッセ・ルアールの仕事は報われたのだろうか?
by redsoldiers
| 2016-04-06 23:59
| 映画
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