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追悼 ラウラ・アントネッリ

 22日、ラウラ・アントネッリ(Laura Antonelli)がローマ近郊(中心部より西へ35km)の街ラディスポリ(Ladispoli)の自宅で、遺体となって発見された。享年73歳。心臓発作だったという。

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 ラウラ・アントネッリは、シルビア・クリステル(Sylvia Kristel:2012年10月17日寂・享年60歳)と共に、1970年代の欧州艶映画の双璧をなした女優である。

 ラウラは1941年11月28日に、現在クロアチア領のプーラ(Pula。イタリア名:ポーラ/Pola)にて生まれた。
 歴史の中で何度も主を変えた街は、第一次世界大戦の後にオーストリア=ハンガリー帝国よりイタリアへ割譲された。ナチス・ドイツの占領の後、1947年にユーゴスラビアのクロアチア領プーラとなる。当時、街の人口の90%はイタリア系であったが、1946年12月から1947年9月にかけて、その大多数がイタリアへと脱出した。幼少のラウラも、その中の一人であったと思われる。

 体育科の教師を目指していたが、テレビの出演を経て映画界へ。1969年の『毛皮のヴィーナス(Le malizie di Venere)』を皮切りに、次々とセクシーな役どころを演じ、1973年の『青い体験(Malizia)』は大ヒットを飛ばした。
 ルキノ・ヴィスコンティ(Luchino Visconti)の遺作となる1976年の『イノセント(L'innocente)』への出演、ジャン=ポール・ベルモンド(Jean-Paul Belmondo)とのロマンスなど、'70年代は正にラウラの絶頂期だった。

 1980年代も前半は、熟女役としてセクシーな役どころを演じていたが、徐々に出演作は減っていく。
 1991年にはコカインの使用で摘発され、同年『青い体験2000(Malizia 2000)』の撮影時の美容整形(コラーゲン注射)の失敗と、それを巡る裁判など、トラブル続きであった。

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 正直言うと、余り好きな女優さんでは無かった。
 ヴィスコンティが「ヴィーナスの様な体」と評した官能的な肉体美に異論は無いが、余り顔立ちが美しいとは思わなかったからだ。
 作品も、中学生の頃に親に隠れてテレビ放映された作品をコッソリ観ていた経験はあるけれど、キチンと鑑賞した作品と言えば、最近DVDで観た『薔薇の貴婦人(La venexiana:1986年イタリア)』ぐらいだ。

 ところで・・・「イタリアの胸」と私が勝手に呼んでいる乳房の形がある。
 イタリア系の女優やモデルに多い形の(と私が勝手に思い込んでいる)乳房で、豊かで張りもあるのだが、ツンとせず、わずかに熟して落ちそうな水滴の様な形・・・それが「イタリアの胸」。
 誰彼かまわず、この様な形をした乳房を目にすると、胸がきゅんと痛むのですよ・・・昔から。

 ・・・って話を、以前カニオ+さんに話したら「貴方はバカですか?」と言われたのだが(正しい!)、最近になって気がついたのですよ・・・「イタリアの胸」は幼少期に目にしたラウラの胸だった事に。
 そう、これはラウラが童貞の少年だった僕に残していった、甘い甘いキズだったんだね・・・。

 さよなら、ラウラ。
(T_T)

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by redsoldiers | 2015-06-26 16:41 | 映画 | Comments(0)

歴史軍装研究と模型製作の狭間に


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