『大地と自由』
2013年 07月 22日
世の中、クソみたいな映画が、やれDVDだ、やれブルーレイだと、手を代え品を変え発売し、結局はワゴンセールでゴミに相応しい扱いを受けて、産業廃棄物と化している。
そんな資源テロの様な生産活動をしているなら、もっとDVDソフト化すべき作品はごまんとあるだろ!?という、そのごまんの一つが『大地と自由』(原題:Land and freedom)。
1995年のカンヌ国際映画祭で高い評価を得た作品で、日本でも岩波ホールで上映され、その後、VHS化もされた・・・が、未だ日本ではDVD化されていない。
監督は、イギリスのケン・ローチ(Ken Loach)。
ケン・ローチ監督といえば、一貫してイギリスの労働者階級や移民と言った社会の底辺で生きる人々を力強く描いている事で定評のある映画人・・・なんだが、僕は『大地と自由』以外は、『カルラの歌』(1996)・『マイ・ネーム・イズ・ジョー』(1998)・『麦の穂をゆらす風』(2006)くらいしか観た事がないので、良く分からん。
ただ、どの作品を観てもグッと腹に来る作風は共通していて、特に暴力描写は秀悦。古いライフルを撃とうが、マシンガンを撃ちまくろうが、全てパブで飲んだくるオッサンの拳骨と表現が変わらないのが凄い。
作品はイギリスのとあるアパートで、老人(デヴィッド・カー)が死を迎える所から始まる。やがて孫娘が古い手紙や思い出の品々といった遺品を整理する中で、祖父の若き日の秘められた記憶が明らかにされていく。
1936年、失業中のイギリス共産党員デヴィッドは、フランコ将軍率いる反政府軍との内戦が続くスペインに、人民戦線の義勇兵として参戦すべく密入国。列車内での出会いから政府側の義勇部隊POUM(マルクス主義統一労働者党)に加わる。
カタルーニャの大地で繰り広げられる反政府軍との戦闘。外国人義勇兵同士の友情、恋、死、裏切り。人民戦線のスターリン派と反スターリン派との分裂と抗争・・・そして敗北。
それにしても、このデヴィッドという主人公、スッキリとした顔立ちに騙されるが、結構なボンクラである。
失業保険で食いつなぐ毎日。人民戦線の集会で観た報道映画に感化されカーッとなり、スペインに行けば世界が変わる、俺も変われる・・・というありがちな理由で、心配する恋人を置き去りにして旅立つ。たまたまPOUMに転がり込めたから良いものの、思いつきと勢いだけで生きているから、全くあてもなくスペインに密入国。故郷の恋人にせっせと手紙を書きつつも、カタルーニャの眩しい太陽の下、恋と冒険を謳歌したあげく、最後は全てを失い、破れた甲子園球児の様に土塊だけ持って帰国。でもって、恐らくその恋人と結婚した物と思われる。
甘酸っぱい思い出以外、何も形に残らない、青春映画の主人公の様だ・・・
・・・そう、これは青春映画なのだ。
むせかえる様な熱い空気の中、情熱をほとばしらせ命の炎を燃やす登場人物達・・・正義と理想に無垢で盲目的に全てを捧げたあの時代・・・そう、これは憧憬と追憶、後悔と挫折、そして未来への希望・・・。
ケン・ローチという左翼文化人が、冷戦の崩壊・社会主義陣営の敗北という現実を越え、思想的にも青春時代であったあの戦争を生きたデヴィッドという主人公を借りて、若さ故の過ち、未熟さを告解する青春映画である。
だからこそ、文化人が左翼的である事、革新・進歩的と言われる事が眩しかった時代を生きた世代の心を掴んだのは間違いない。
・・・と同時に、政治志向の違いを越えて、誰しもが経験したはずの若くて、純粋で、理想に燃えた姿を描いているからこそ、ヒットしたのだろう。
映画中盤、フランコ軍、地主や教会から解放した村で、土地をどの様に分配するかで長々と激論するシーンがある。最後は挙手で決を採り、多少の差は在れ、皆が不満と至らなさを胸に議論は終わる。
映画的には長尺で中だるみする不要なシーンだとは思うが、ここに答えのでなかった問題に対する、作家の魂の叫びが込められているようで、胸を打たれた。
ラストシーン。デヴィッドの墓の前で、孫娘がウィリアム・モリスの詩を読み上げる。
「誰も敗者とならぬ戦いに参加しよう。たとえ死が訪れても、その行いは永遠なり」
挫折と後悔の中で見いだしたモノがこれならば、それはとても大きな事だ。
まだ理想は死んでいない。
(日本盤VHSは、リバーシブルジャケット仕様でした)
ドイツ語版予告編
そんな資源テロの様な生産活動をしているなら、もっとDVDソフト化すべき作品はごまんとあるだろ!?という、そのごまんの一つが『大地と自由』(原題:Land and freedom)。
1995年のカンヌ国際映画祭で高い評価を得た作品で、日本でも岩波ホールで上映され、その後、VHS化もされた・・・が、未だ日本ではDVD化されていない。
監督は、イギリスのケン・ローチ(Ken Loach)。
ケン・ローチ監督といえば、一貫してイギリスの労働者階級や移民と言った社会の底辺で生きる人々を力強く描いている事で定評のある映画人・・・なんだが、僕は『大地と自由』以外は、『カルラの歌』(1996)・『マイ・ネーム・イズ・ジョー』(1998)・『麦の穂をゆらす風』(2006)くらいしか観た事がないので、良く分からん。
ただ、どの作品を観てもグッと腹に来る作風は共通していて、特に暴力描写は秀悦。古いライフルを撃とうが、マシンガンを撃ちまくろうが、全てパブで飲んだくるオッサンの拳骨と表現が変わらないのが凄い。
作品はイギリスのとあるアパートで、老人(デヴィッド・カー)が死を迎える所から始まる。やがて孫娘が古い手紙や思い出の品々といった遺品を整理する中で、祖父の若き日の秘められた記憶が明らかにされていく。
1936年、失業中のイギリス共産党員デヴィッドは、フランコ将軍率いる反政府軍との内戦が続くスペインに、人民戦線の義勇兵として参戦すべく密入国。列車内での出会いから政府側の義勇部隊POUM(マルクス主義統一労働者党)に加わる。
カタルーニャの大地で繰り広げられる反政府軍との戦闘。外国人義勇兵同士の友情、恋、死、裏切り。人民戦線のスターリン派と反スターリン派との分裂と抗争・・・そして敗北。
それにしても、このデヴィッドという主人公、スッキリとした顔立ちに騙されるが、結構なボンクラである。
失業保険で食いつなぐ毎日。人民戦線の集会で観た報道映画に感化されカーッとなり、スペインに行けば世界が変わる、俺も変われる・・・というありがちな理由で、心配する恋人を置き去りにして旅立つ。たまたまPOUMに転がり込めたから良いものの、思いつきと勢いだけで生きているから、全くあてもなくスペインに密入国。故郷の恋人にせっせと手紙を書きつつも、カタルーニャの眩しい太陽の下、恋と冒険を謳歌したあげく、最後は全てを失い、破れた甲子園球児の様に土塊だけ持って帰国。でもって、恐らくその恋人と結婚した物と思われる。
甘酸っぱい思い出以外、何も形に残らない、青春映画の主人公の様だ・・・
・・・そう、これは青春映画なのだ。
むせかえる様な熱い空気の中、情熱をほとばしらせ命の炎を燃やす登場人物達・・・正義と理想に無垢で盲目的に全てを捧げたあの時代・・・そう、これは憧憬と追憶、後悔と挫折、そして未来への希望・・・。
ケン・ローチという左翼文化人が、冷戦の崩壊・社会主義陣営の敗北という現実を越え、思想的にも青春時代であったあの戦争を生きたデヴィッドという主人公を借りて、若さ故の過ち、未熟さを告解する青春映画である。
だからこそ、文化人が左翼的である事、革新・進歩的と言われる事が眩しかった時代を生きた世代の心を掴んだのは間違いない。
・・・と同時に、政治志向の違いを越えて、誰しもが経験したはずの若くて、純粋で、理想に燃えた姿を描いているからこそ、ヒットしたのだろう。
映画中盤、フランコ軍、地主や教会から解放した村で、土地をどの様に分配するかで長々と激論するシーンがある。最後は挙手で決を採り、多少の差は在れ、皆が不満と至らなさを胸に議論は終わる。
映画的には長尺で中だるみする不要なシーンだとは思うが、ここに答えのでなかった問題に対する、作家の魂の叫びが込められているようで、胸を打たれた。
ラストシーン。デヴィッドの墓の前で、孫娘がウィリアム・モリスの詩を読み上げる。
「誰も敗者とならぬ戦いに参加しよう。たとえ死が訪れても、その行いは永遠なり」
挫折と後悔の中で見いだしたモノがこれならば、それはとても大きな事だ。
まだ理想は死んでいない。
ドイツ語版予告編
by redsoldiers
| 2013-07-22 02:15
| 映画
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