ヒストリカルフィギュアに準ずるモノ~フィギュア文化論~(3)
2012年 06月 02日
世の中「ファンタジーフィギュア」と、「ヒストリカルフィギュア」(更には「エロティックフィギュア」やら、「キャラクターフィギュア」とか)を区別する向きがあるが、私自身は「フィギュア」であれば区別しない・・・という事を述べてきた。
では、「フィギュア」とは何だろうか?
ここで、古典に立ち返ってみたい。古典とは、現代に繋がる規範だからである。
いわゆる欧米におけるミニチュアとしてのフィギュア、我々が指す所のフィギュアとは、近代ドイツの錫人形・・・具体的に言えばニュルンベルクを中心とする「錫人形」を古典とする。
玩具産業で有名なニュルンベルクでは、錫を用いた玩具作りも盛んであったが、その中には古典的なフィギュアである「錫人形」も含まれていた。
1848年にフィギュア・マイスターの一人であるエルンスト・ハイリクセンが、錫人形のサイズを28~30mmに定めた。これが「ニュルンベルクサイズ」と呼ばれ、広まっていった様である(「エルツおもちゃ博物館・軽井沢」の下記ページ参照。ここ)。恐らく、これは「フラットフィギュア」の事だと思われ、現在でも「フラットフィギュア」の主流をなすサイズは、この大きさである。
一方で、「トイソルジャー」から発展した「ラウンドフィギュア」はもう少し大きく、54mm(1/32スケール)サイズが主流と成っている。
「フラットフィギュア」と違い、技術的な制約から小さくて繊細な物を作れなかったからであろうし、クリスマス飾りとしてテーブルや棚に並べて情景を作る人形(クレシェ等)の感覚から来るサイズ感も在ったと思う。
つまり、このサイズが「フィギュア」なのである。
28~30mm・・・大きくても54mm・・・このサイズの人類(亜人類、異星人も?)のミニチュアが、「フィギュア」なのだ。
どんなに「フィギュア」とうたっていても、120mm、90mm、バストモデル等のビッグスケールの物は、「アレはドールで、フィギュアじゃ無いよ!」とは、フィギュアに魂を捧げたドイツ人フランク・S氏の叫びである。
それは正しい。
アレらは、ドールだ・・・しかし技術的な部分も含めて、その楽しみ方には共通のものがある。
アレもコレも、厳密に言えば「ヒストリカル」ではない・・・「フィギュア」でもない・・・しかし技術的な部分も含めて、楽しみ方には共通のものがある。その共通のものをアイデンティティとして共有したい。
「ヒストリカルフィギュアに準ずるモノ」・・・この曖昧さが心地良いではないか。
曖昧だからって悩む事は無い。アイデンティティに迷う事もない。
何故なら、我々には「古典」という規範が在り、共有する歴史があるのだから。
そして、それを文化と呼びたい。
では、「フィギュア」とは何だろうか?
ここで、古典に立ち返ってみたい。古典とは、現代に繋がる規範だからである。
いわゆる欧米におけるミニチュアとしてのフィギュア、我々が指す所のフィギュアとは、近代ドイツの錫人形・・・具体的に言えばニュルンベルクを中心とする「錫人形」を古典とする。
玩具産業で有名なニュルンベルクでは、錫を用いた玩具作りも盛んであったが、その中には古典的なフィギュアである「錫人形」も含まれていた。
1848年にフィギュア・マイスターの一人であるエルンスト・ハイリクセンが、錫人形のサイズを28~30mmに定めた。これが「ニュルンベルクサイズ」と呼ばれ、広まっていった様である(「エルツおもちゃ博物館・軽井沢」の下記ページ参照。ここ)。恐らく、これは「フラットフィギュア」の事だと思われ、現在でも「フラットフィギュア」の主流をなすサイズは、この大きさである。
一方で、「トイソルジャー」から発展した「ラウンドフィギュア」はもう少し大きく、54mm(1/32スケール)サイズが主流と成っている。
「フラットフィギュア」と違い、技術的な制約から小さくて繊細な物を作れなかったからであろうし、クリスマス飾りとしてテーブルや棚に並べて情景を作る人形(クレシェ等)の感覚から来るサイズ感も在ったと思う。
つまり、このサイズが「フィギュア」なのである。
28~30mm・・・大きくても54mm・・・このサイズの人類(亜人類、異星人も?)のミニチュアが、「フィギュア」なのだ。
どんなに「フィギュア」とうたっていても、120mm、90mm、バストモデル等のビッグスケールの物は、「アレはドールで、フィギュアじゃ無いよ!」とは、フィギュアに魂を捧げたドイツ人フランク・S氏の叫びである。
それは正しい。
アレらは、ドールだ・・・しかし技術的な部分も含めて、その楽しみ方には共通のものがある。
アレもコレも、厳密に言えば「ヒストリカル」ではない・・・「フィギュア」でもない・・・しかし技術的な部分も含めて、楽しみ方には共通のものがある。その共通のものをアイデンティティとして共有したい。
「ヒストリカルフィギュアに準ずるモノ」・・・この曖昧さが心地良いではないか。
曖昧だからって悩む事は無い。アイデンティティに迷う事もない。
何故なら、我々には「古典」という規範が在り、共有する歴史があるのだから。
そして、それを文化と呼びたい。
そうなんですよね。
日本と欧米の「フィギュア文化」の違いは、サイズの違いで考えると一番分かりやすい気がします。
複製品製造技術の発達でフィギュアが大型化し、ドールが精密化したことで、従来は素材等でかろうじて分けていた両者の物理的な差がなくなってしまいました。元々それぞれが模造対象や表現方法で区別されていたわけではないので最早分類は不可能になっていると思います。
ただ、今もってかろうじて分類できるのはサイズですよね。「ミニチュアフィギュア」ではドール的楽しみを得るのが難しいと思うので、そこはフィギュアの聖域(笑)と言えるのではと思います。逆にグレーゾーンのサイズのフィギュアを対象の実在・非実在や表現方法で無理やり分類するのはナンセンスだと思いますね。
『日本では「ヒストリカルフィギュア愛好家」がマイノリティが故にアイデンティティを主張する為、意図的に鋭く対立しようとしている』のには狭量を感じます。それでは滅んでも仕方ないかなと。
日本と欧米の「フィギュア文化」の違いは、サイズの違いで考えると一番分かりやすい気がします。
複製品製造技術の発達でフィギュアが大型化し、ドールが精密化したことで、従来は素材等でかろうじて分けていた両者の物理的な差がなくなってしまいました。元々それぞれが模造対象や表現方法で区別されていたわけではないので最早分類は不可能になっていると思います。
ただ、今もってかろうじて分類できるのはサイズですよね。「ミニチュアフィギュア」ではドール的楽しみを得るのが難しいと思うので、そこはフィギュアの聖域(笑)と言えるのではと思います。逆にグレーゾーンのサイズのフィギュアを対象の実在・非実在や表現方法で無理やり分類するのはナンセンスだと思いますね。
『日本では「ヒストリカルフィギュア愛好家」がマイノリティが故にアイデンティティを主張する為、意図的に鋭く対立しようとしている』のには狭量を感じます。それでは滅んでも仕方ないかなと。
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赤いお母さん
at 2012-06-05 12:20
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>狭量を感じます。
マイノリティは、アイデンティティを主張し続けないと同化されて、滅びてしまう運命にあるので、ことさらに主張するのは仕方がないかな・・・と思います。世界総ガラパゴス化計画推進委員としましても、鋭く対立する事は大歓迎です(笑)。
ただ、日本で「ヒストリカルフィギュア」「ミリタリーフィギュア」のアイデンティティを声高々に主張する方々の多くが、往々にして、松岡氏の『深遠なる甲冑模型の世界』あたりに始まり、そこで完結しているケースが多いので(或いは海外の著名モデラーの書籍や専門誌)、“「フィギュア」というモノに対する認識”に、酷く違和感を感じる事がままあります。
あれは一部、もしくは厳密にはドールの世界なのになぁ・・・と。
鋭く対立するのは良いとして、その前に正しい認識を持って頂きたいな・・・と常々思っております
・・・等と、上から目線で書いてみました。
(-_-)y-~
マイノリティは、アイデンティティを主張し続けないと同化されて、滅びてしまう運命にあるので、ことさらに主張するのは仕方がないかな・・・と思います。世界総ガラパゴス化計画推進委員としましても、鋭く対立する事は大歓迎です(笑)。
ただ、日本で「ヒストリカルフィギュア」「ミリタリーフィギュア」のアイデンティティを声高々に主張する方々の多くが、往々にして、松岡氏の『深遠なる甲冑模型の世界』あたりに始まり、そこで完結しているケースが多いので(或いは海外の著名モデラーの書籍や専門誌)、“「フィギュア」というモノに対する認識”に、酷く違和感を感じる事がままあります。
あれは一部、もしくは厳密にはドールの世界なのになぁ・・・と。
鋭く対立するのは良いとして、その前に正しい認識を持って頂きたいな・・・と常々思っております
・・・等と、上から目線で書いてみました。
(-_-)y-~
by redsoldiers
| 2012-06-02 12:00
| 模型論考
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Comments(2)